モハメド・アリ対アントニオ猪木、日本側と米側の証言の食い違い
7・2 追記
この件について調査している「完本 1976年のアントニオ猪木」柳澤健のアリ戦部分を確認できた。結論からいうと、猪木がもっと卑劣で、アリがさらに高潔だった。
この本によると、元々アリ対猪木がエキシビジョン(ブックありの試合)として持ち込まれたのは、アリが付き人を用意してプロレスの練習までしていることや、アリ本人とアリ側関係者の証言から明らかである。猪木は偽りで契約を結ばせ、騙し打ちを行った。
来日してからこの事態を知ったアリは帰国しても良かった。先に約束を破ったのは猪木なのだから、契約を破棄して裁判になったとしても確実に勝てただろう。だが、アリは「それならリアルファイトをやってやろうじゃないか」と男らしく勝負を受けた。
リアルファイト用のルールがまとめられたが、それは今世間で広まっているような「猪木はパンチもキックも投げもタックルも関節技も禁止」というような理不尽なルールではない。実際はプロレスとボクシングを合わせたルールであり、「ボクサーはボクサーらしく、レスラーはレスラーらしく正々堂々と闘う」という約束の下、猪木には投げも関節技も許されていた。むしろ交渉の場で理不尽な要求をして却下されたのは、猪木陣営である。アリのセコンド、アンジェロ・ダンディは「猪木は靴のつま先で蹴ってもいい、喉元にチョップを打ち込んでもいいなどと要求してきた」と証言している。
そして最も卑劣なのは、試合で寝そべって自分からテイクダウンを取りに行かなかった姿勢があまりにも酷評されたため、「制限だらけのルールだから仕方なかった、アリ側に押し付けられた」とでっち上げた点である。これが嘘であったことは、この試合についてのレフェリーの感想や、この逸話仕掛け人、新間氏の証言及び猪木自身が巻末のインタビューで発言していることから明らかである。
猪木は著者に「レフェリーが、もし猪木にタックルの技術があればアリを倒せただろうと言っていますが、どう思いますか?」と聞かれ、「それは違う。もしタックルに入ったら、その瞬間パンチを合わされると本能が警告した」というような答えをしている。もし出回っている制限だらけのルールが本当だとしたら、そもそも「ルールで出来ない」だけの話だから、もしタックルの技術があればとか、本能が警告も何もない。
こんな猪木に対してアリは試合後も立派である。約束を破られ準備も出来ないまま理不尽に試合に持ち込まれた上、およそプロ精神とはほど遠く正々堂々と言いがたい闘いを仕掛けてきた猪木に対して、「俺をここまで傷めつけるとは大した奴だ」「いろいろ言われているが、あの試合のアントニオは立派だった。あれは俺に対して彼が出来る見事な戦術だった」と相手の健闘を讃えている。しかも、そんな試合で足を負傷させられ、今後の重要な試合に悪影響を受けている中での発言である。(トレーナーのアンジェロも「あの戦略は見事だった」と語っている)
(もし「プロとして」だとか「正々堂々」という観点を抜きにした場合、あの戦術を取った猪木とセコンドのカール・ゴッチは確かに天才的だったと思う。著者やアリ自身が語る通り、猪木がタックルの技術を持ちあわせていなかった以上、プロレスのロープブレイクがあるルールでは、ロープ際をサークリングして相手が出てきたところをジャブで合わせるというアリの戦術の前には、おそらくあれ以外に為す術がなかったからだ)
(ちなみに実際、猪木は13Rに二回タックルを仕掛けているが、いずれもロープブレイクで回避されている。一度だけテイクダウンを取った場面も、アリがすぐに手を伸ばしてロープを掴み、直後に猪木が反則の肘を使うという展開になっている)
また本書では、馬鹿馬鹿しく思えた「アリはグローブの中に何か仕込んでいた」なども、案の定、猪木側のでっち上げとしてキッパリ否定されている。証人が、アリがバンテージやグローブを装着するところを監視していたし、猪木側のセコンドがアリのグローブをチェックしているところもVTRできっちり残されているからだ。(当時はVTRの存在が知られていなかった)
その他、制限だらけのルールを押し付けられたと猪木側が語る経緯も呆れる内容。アリ所属の宗教団体ネイション・オブ・イスラムが「我らの象徴を傷つけるとただではすまない」と拳銃二丁を突き付け、マフィアの報復を思わせるような脅しをかけたという。(いかにも事後に試合内容に合わせて考えた話らしく「片手片足をつけた状態で攻撃しろ」と言われたとの証言まである)確かにネイションには過激な歴史もあったが、筆者の言うとおり当時はもう穏健な団体になっていたし、過激当時もスポーツの興行にそんな荒事を持ち込むような蛮行はしていない。試合前後が最も荒れたアリとソニー・リストンの試合時ですらそうである。グローブに細工をしたというエピソードと同じ漫画的な作り話であって、猪木側の証言がいかにあてにならないかの証左である。
しかし本当にひどいものだと思った。「猪木が制限だらけのルールを無理やり押し付けられ、アリはこの試合に関して卑怯だった」との認識は、いまや海外のメディアにすら広まってしまっている。アメリカのウィキペディアの猪木対アリの記事ですら、制限されたルールについて記述されているのである。今現在も、偉大な英雄を不当に貶め続けている猪木側の罪は重い。
アリの名誉回復のため、この本の内容はぜひ英訳されて欲しいと思う。正確な事実が一刻も早く国内外に浸透していってほしい。
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以下は追記前の記述。
推測が間違っている部分もあるが、せっかく書いたものなので、記録として一応置いておく。
アリ関連の書籍いろいろ読んでるが、猪木との異種格闘技戦に関する記述が日本側の伝聞とはかなり違う。
ルールは頭突き、肘、膝を使った打撃の、喉への打撃は禁止、寝技は五秒以内?とありましたが、後に一部で言われたほどプロレス技は禁止(逆関節技、後ろへ投げる、等)ではなかったようです。タックルはOKでしたし、アリ側からすれば掴まえようと近づいた猪木にパンチを入れる作戦だったので、そのほうが都合が良かったのかも。
猪木が立った状態ではあらゆる蹴りは禁止だったはず。それでは猪木があまりに不利に見えるので、しゃがんだ状態、膝をついた状態で足の甲を使ってアリを倒す足払いはOKというルールでした。
ルールが猪木に不利だったという話は、猪木側が猪木の価値を落とさないために流したデマなのです。
世紀の凡戦と呼ばれ、アリに勝てなかった猪木ですが、ルールで縛られてたとデマを流せば猪木の価値は下がるどころか、神格化され崇められます。とくにルールに制限はなく、「レスラーはレスラーらしく、ボクサーはボクサーらしく」これがすべてのルールだったらしいです。
猪木は、プロレス技が禁止だから勝てなかったのではなく、アマレスのバックボーンがない猪木にはタックルにいく技術も勇気も無かったから勝てなかったのです。
猪木が谷津や長州ほどのタックルの技術があれば、簡単にアリに勝てたと思います。猪木VSアリについては、「1976年のアントニオ猪木」という本を読むことをおススメします。