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iwanmayatakaのファイル

つぶやいたこと(https://twitter.com/IwanMayataka)や何かの機会に書いたことの中で、自分のための記録用及び、他の方にも何かの役に立ちそうな内容をここに置いています。

中心人物の行為を支点にしなければ、信仰は徐々に恣意的に解釈されていく

一応メモっておく。ツイートより。

自分にとっては一番大切な発見。

 

 わずか四日でこれだけの数が集まったのは本当に凄いし誇りに思う。滅茶苦茶嬉しい。でも先生の数が少なすぎないかね。在校の生徒が実名晒してるのに、現在名前が出ている教員さんは、たったの二名。特に人文系、哲学や法学の先生は何してるのかと。

https://twitter.com/sokauniv_nowar/status/631819526468845568


真理とそれに殉ずる人間精神を探求する哲学、歴史の反省の積み重ねから成り立ってる法学を学んでおきながら、憲法を踏みにじる今回の権力の凶暴さにも気づけていないのだとしたら、そんな先生方のやってる学問なんて紛い物としか思えんぞ。ソクラテス日蓮から肝の部分を抜いて一体何を教えてるの?

 

昔、創大の哲学の先生に、信仰において具体的な行動指針はある程度明確にできるはずだし、そこを決定しておかないと(例えば日蓮は非暴力か否か等)、抽象的な哲学語だけだと現実の行動にあたって事後でどうとでも当てはめて解釈できるんで、いずれ分派が生まれると主張して、理解されなかった。

 

だから今の現実見てると、ほら見たことかといいたくなるんですわ。あの時「具体的な行動によろうが抽象的な語によろうが、結局解釈は無数にできるから、これが正しい解釈とは決定できない。だから君の問いは無意味」と返されたんだ。それも、学生が何か生意気いってらみたいな鼻で笑うような態度で。

 

だったら今こそ、ガンジーやキングが武力で対抗する行為を是とするだろうという解釈を、彼らの行為から引き出してみてほしいんだよな。それに説得力を持たせられるなら、今も声を上げない自分達でいながら、ガンジーやキングが、自分達の信じる意味で正しいと語る資格がある。

 

でも出来ないなら(出来ないんだけど)、自分が実践しているのとは別のものを正しいと分かっているにも関わらずそれをしない、あるいはそもそも何がどう正しいかも理解していなかったっていう、偽善者か無理解者にしかならないんだよ。そんな先生が一体、生徒に何を教えるんだ。

 

純論理的な机上の空論だけで言うなら、どんな言葉や行為でも確かにどんな解釈でも無数にできるが、現実的にはそうはなりえない。人を殴っておいて実はそういう意味ではなかったとは一応言えることは言えるが、現実においてはそんなこと『通用しない』。殴っていない人を殴っているという風に解釈するなんて『意味が通らない』。

 

抽象的な語の解釈の幅は広いが、具体的な行為の解釈の幅はかなり制限されるってことをあのとき自分は言ったが、先生はそれを理解しなかった。机上の空論で「解釈は無数にできるから無意味だ」と返してきた。そうして結果的に、自分達が正しい行為に従わないことをそれでもって今も正当化している。

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