iwanmayatakaのファイル

つぶやいたこと(https://twitter.com/IwanMayataka)や何かの機会に書いたことの中で、自分の記録用と、他の方にも何かの役に立ちそうな内容をここに置いています。

慈善事業は西洋ではなく東洋から始まり、仏教によって拡大した

『慈悲』中村元 講談社学術文庫からの引用。
一部文章を割愛・略してあります。

 もともと社会事業とか慈善事業というようなことは、本来東洋において先ず盛んに行われていたのであって、西洋においては年代的にはるかに遅れて現れたのである。このことは史実の証するところであり、また史家の確認するところである。
 史的人物のゴータマ自身も、病人の看護などに献身的であったことが伝えられている。同時代の諸国王も仏教の感化のもとにかかる政策の実行につとめていたことは原始仏教経典の記すところである。それを最も大規模に行ったのは、アショーカ王であった。かれは、従来一般インド人の遵奉していた祭祀・呪法は無意義なものとして、仏教に帰依すべきことを勧め、無益の殺生および獣畜の去勢を禁止した。貧しい人々に給与するために「施しの家」を設立した。人間のための病院を設立したことは云うに及ばず、獣畜のための病院までも設け、諸方に薬草を栽培せしめた。また辺境の異民族を保護し、囚人に対してもしばしば恩赦を行っている。仏教によるこのような事業は、その後インドでは一つの伝統となって長い間行われていた。
 今日では、社会政策或いは慈善事業のようなことは、西洋から発したものであるかのごとく思われているが、実はむしろ東洋において古くから行われていたのである。かかる施設は西洋では遅く始まった。史家ヴィンセント・スミスのいうところによると、西洋では、病人を救うための設備はコンスタンチヌスの治世にいたるまで建設されなかった。ヨーロッパの最古の病院としばしば主張されているものも、七世紀よりのちのものである。社会事業或いは慈善事業というようなことは、もともとギリシャ哲学とは本質的な連関をもたないし、またキリスト教といえども、その興起よりもはるかに遅れてかかる事業に着手したのであるから、したがって西洋においては、インドにおけるがごとく最古代から一つの精神的社会的伝統とはなっていなかったのである。