iwanmayatakaのファイル

つぶやいたこと(https://twitter.com/IwanMayataka)や何かの機会に書いたことの中で、自分の記録用と、他の方にも何かの役に立ちそうな内容をここに置いています。

小林秀雄が語る読書・批評の極意

 『兄小林秀雄との対話 人生について』著 高見澤潤子 からの引用です。

ツイート用に文章を短くしてあるところがあります。

 

デカルトは、私の本は四度読んで欲しいと言っているよ。一度目は分からなくて漠然とでも全部読む。二度目は分からない所に線を引きながら。三度目は線の部分をよく考えながら。そしてもう一度」


「一流の作品をもっともっと読んでほしい。難しいからと諦めないで。一流の作は、生命の刻印といってもいいもので、作者は読者の忍耐ある協力を切望している。批評されたり解説してもらうより、辛抱して読んでくれる愛読者の方が、ずっと嬉しいんだ」


妹の高見澤さん「何度も繰り返し読んで、わかろうとしてくれる人ね」
「そうだよ。作者に対して、作品に対して、愛情をもって読んでくれる人なら、必ず忍耐を持って読むだろう。私はいつもそうしている。愛するという心に、極意があるんだ」


「愛するとかいう心には、虚栄心や自己主張は、全然ないものだ。自己を捨ててみれば、自然と批判的態度というものが現れる。批評の極意は、人の身になって考える。独断的態度も懐疑的態度も捨てて、相手の立場に立って見る、ということだ」


「愛情のない批判者ほど、間違うものはない。数学者の岡潔は、人間が人間である中心になるのは、科学性でもなければ、論理性でもなく、理性でもない。情緒だ、とまでいっている。理性第一の学問をしている人が、そういうことを」


「まず読書の方法としてだいじなことは、一流の作品を選んで読むこと。いいものばかり見なれ、読みなれていると、わるいものがすぐ分かるようになるんだ。逆に三流四流のくだらないものばかり読んでいては、いいものがなかなか分からない」


「一流の文学っていうと、長い年月の間にたくさんの人が、いつの間にかそう決めたものだ。それから、一流の作品はみんな、例外なく、難しいものと知ることだ。一流作品というものは、成熟した人間・思想の表現だから、なかなか分かりやしない。たいていの人は、名作を読んでみて、いいかげんな段階のところから、ちょっとのぞいてみて、なにもかも分かった顔をしてるけど、それは自分の分かったところだけを拾い読みしたことだ。作者の成熟した感情や思想は、もっともっと上のほうの段階にあって、そこまで登っていかなければ、とても分かるものじゃないんだ。そこで、何度も何度もしんぼうして読み返す必要があるんだな」


高見澤さん「わたしたちは、名作を簡単に批評したりしがちだけど、ほんとは、なかなか批評なんかできないはずね」
「そりゃできるわけがない。そういうのは名作の前を素通りしてるだけだよ。ほんとうに一流作品に影響されるということは、その素晴らしさに、ぐうの音も出ないほどにやっつけられることだ。文句なしにその作品の前にひれ伏してしまうということだ。そういう体験を、恐れずにつかまなければ、名作から、身になるものを受けられないよ。そういう経験をしてからのち、なにか言いたいことが生まれてくれば、それがはじめて批評となるのだ」


「それから、一流の作家の作品を、全部読むということもたいせつだね。一流作家は必ず、全集がでている。それを読むんだ。その人の手紙や、日記まで読まなくちゃいけない。これも読書法のひとつだ。"その作家を研究するためには全集を読まなくちゃいけないだろうが、そうでなければ、全部の作品を読む必要はない。自分の好きな作品だけ読めばいい”というのは間違いだよ。いまおれがいった読書法は、みんな、おれが実際に昔から実行してきたことだし、いまだって実行しているが、とても役にたっている」


「全集を読んでしまうと、そういう一流といわれるような人は、どんなにいろいろなことを試み、どんなにいろいろなことを考えていたかが分かってくるよ。そしてどんなにたくさんのことを捨ててしまったかが分かってくる。その作者の、物を書こうと努めた人間の生態が、見えてくるんだね」


「作品は目の前にあり、人は奥のほうにいる。一生懸命に熟読していけば、本が本に見えないで、それを書いた人間が見えてくる。いいかえれば、人間から出て、文学となったものを、もう一度人間にかえすことが、読書の技術なんだ」


「何を読んだらいいかって聞かれるたびに、『トルストイ全集』を買って、半年ばかり何も読まずに、それだけを読みなさい、っておれは言ったよ。しかし、それを実行したものはひとりもないね。実際に読んでみなけりゃ、どういう得があるか、けっしてわかるもんじゃないよ。この世は、実際にやってみなけりゃわからないことだけで成り立っている」

 

「読む人はね、言葉をだいじにしてもらいたいんだ。言葉の意味を分かろうとするよりも、言葉の姿とか形を感じてもらいたいんだ。極端に言えば、文学をわかろうとするには、ただ読んだだけでは駄目で、実はながめるのがいちばんだいじなんだ」

 

「語感てやつだ。読む人の心に、じかにうつる姿。海とか空という言葉は、ただの記号じゃない。実物につながって、海の色やにおい、空の色、ひろびろとした感じ、みんな含まれている。人間の歴史や生活にもまれてきた言葉の形を、ようく感じなくちゃ。そういうものをなくしたら、生きた言葉じゃなくなる」

 

 「美とは感じるもので、美について知識をもっていても駄目だね。解説つきで聞いたり見たりするのが文化的だ、と思われている。ところが、桜が咲いた、きれいだから見にいこうと、楽しんでお花見に出かける人たちのほうが、美というものをずっと分かっているかもしれないんだ」

 

「まず無条件に感動することだ。ゴッホの絵とかモーツァルトの音楽とか、(解説のような)理屈なしにね。頭で考えないで、ごく素直に。どう表現していいか分からないものを感じる。そして沈黙する。この沈黙に耐えるには、作品に対する愛情がいる」