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iwanmayatakaのファイル

つぶやいたこと(https://twitter.com/IwanMayataka)や何かの機会に書いたことの中で、自分のための記録用及び、他の方にも何かの役に立ちそうな内容をここに置いています。

最も人格の立派だった哲学者はスピノザ ラッセル談

スピノザの偉大さを簡単に伝える抜粋集

 

(『西洋哲学史』 近世哲学 スピノザ 著 バートランド・ラッセル 訳 市井三郎)より

 

 スピノーザは偉大な哲学者たちのうちで、もっとも人格高邁でもっとも愛すべき人である。知的には彼を凌駕したひとびとはいるが、倫理的に至高の位置を占めるのは彼である。その自然な帰結として、彼はその生前ならびに死後の一世紀にわたり、驚くべき邪悪な人間と見なされていた。ユダヤ人として生まれながら、ユダヤ教徒たちは彼を破門に処したのであり、キリスト教徒たちも同様の嫌悪を示した。またスピノーザの全哲学が神の観念によって支配されているにもかかわらず、正統教義を信奉するひとびとは、彼を無神論のかどで非難した。

 スピノーザに多くを負っていたライプニッツは、その負い目を隠して、彼を賞賛する言葉を一語も発しないように用心した。そのユダヤ人の異端者[訳注・スピノーザのこと]とどの程度まで個人的につきあっていたか、ということに関してウソをつくほど、ライプニッツはひどく気をくばったのである。

 スピノーザの生涯はきわめて素朴である。彼の家族はスペインあるいはポルトガルから、異端審問所を逃れるためにオランダへ移住していた。彼自身はユダヤ教の学問で教育を受けたのだが、正統派でありつづけることが不可能であると悟った。懐疑を公言しなければ年に1000フロリンやる、という申し出を受けたが、それを拒否すると彼を暗殺しようという企てがなされた。その試みが失敗に終わった時、スピノーザは「申命記」にあるすべての呪いをかけられ、さらにエリシャが子供たちに発した呪いをもかけられたのである。エリシャの場合には、子供たちは牡熊によってひき裂かれたが、スピノーザの場合には一頭の牡熊も襲ってこなかった。彼は最初はアムステルダムで、次いでハーグで静かな暮らしをし、レンズを磨いて生計を立てた。彼の物質的欲望はきわめて少なく、また単純であり、生涯を通じて金銭に対するたぐいまれな無関心を示した。彼を知る少数のひとびとは、彼の説く諸原理を否定している場合でさえ、彼を愛したのである。慣例的に自由主義的な傾向をもつオランダ政府は、神学上の事柄に関するスピノーザの諸意見を寛容した。もっとも一度は、彼がオランジュ公家に抗してデ・ウィット家の味方をしたために、政治的に不評を招いたことはある。四十三歳という壮年期に、彼は肺結核で死亡した。

(略)

 スピノーザの世界観は、人間を恐怖の圧政から解き放つ意図をもっている。「自由な人間は、死というものをもっとも軽視する。そして死ではなく、生について瞑想することがその人の知恵なのである。」スピノーザはこの格言にもっとも完全に従って生きた。その生涯最後の日に、彼はまったく平静を保ち、「ファイドン」に描かれたソクラテスのように高揚を示すことなく、他のどのような日にもやったと同じように、対談者が興味をもった事柄について静かに会話していたのである。他のある種の哲学者たちとはちがって、彼はみずからの諸教説を信じていたばかりではなく、それを実践した。非常な挑発行為があったにもかかわらず、彼の倫理学が断罪しているような興奮や怒りに彼がおちいったような時を、わたしはぜんぜん知らないのである。論争に際しても、彼は理性的で丁重であり、けっして問責するようなことなく、説得に全力を尽くすのだった。

 

 

(『スピノザに倣いて』 著 アラン 訳 神谷幹夫)より

 

 バルーフ・デ・スピノザ一六三二年十一月二四日、ポルトガル系ユダヤ人の家系に生まれた。両親は彼をラビ[ユダヤ教の教師]にしようとしたので、彼は高度の学問を修めると同時にヘブライ語ラテン語を学び、幾何学と自然学とを研究した。彼はデカルトの読書から啓発され、哲学の道に入ったのである。

 スピノザの生は賢者のそれであった。自由に思索するため、彼は手仕事で生活することを欲し、自分の時間の一部を光学機械用レンズを磨くのに費やしたのだ。プファルツ選挙侯がスピノザハイデルベルク大学の哲学教授職をあたえようとしたとき、彼はこう答えている。「まず第一に、もし青年の教育に専心しようとするなら、私は自分の哲学を続けることを断念しなければならないだろうと思います。他方、公認された宗教を撹乱する者であるように思われたくないために、このような思想の自由に私はどんな制限を加えねばならないのか存じません。なぜなら、宗教上の分裂は激しい宗教熱から出てくるというよりも、人間を駆り立てるさまざまな情念や、このうえもなく明確に言い表されたことでもゆがめ糾弾するのがつねである反駁心から、生じるからであります。私はそのことを、一人で孤独な生活をしているとき、すでに経験しましたので、もし私がそのような名誉ある地位にまで昇ったならば、さらに多くのことを恐れねばならないでありましょう」と。また彼は、おそらく同じような理由から、コンデがルイ一四世からもらってやろうとした年金を断ったのであろう。スピノザは隠遁生活をしていたにもかかわらず、その名声ははるか遠くまで広まっていたのが分かる。ライプニッツはイギリスからの帰途、スピノザを訪ねた。デ・ウィット兄弟の一人はスピノザの弟子であり友人であることを誇りとしていた。

 われわれはスピノザの伝記作者たちから、彼が純朴で善良な人間であったこと、ほんのわずかなもので生きたこと、そして健康に恵まれなかったにもかかわらず、幸福だったことを知っている。またわれわれは、とりわけその著『神学・政治論』によって、彼がオランダを深く愛していたこと、そして良心の自由と政治的自由を、もっとも大切な財産とみなしていたことを知っている。

 彼が無神論と非難されたのは、真の宗教の原理を求め、啓示を理性という自然の光によって置き換えようとしたからだ。トルコ人や異教徒について、「もし彼らが正義にたいする崇拝と隣人愛とを神に祈るなら、ムハンマドや信託を信じようとも、彼らは自己のうちにキリストの精神を有しており、救われていると思う」と書いた人を、どうして赦せるだろうか! このような非難にたいして、彼はただこう答える。「もし私を知っているなら、そうやすやすと私が無神論を教えているとは思わないであろう。なぜなら、無神論はすべてにまさって名誉と金とを求めるのがつねであるから。私が名誉と金を軽蔑していることは、すべての友人がよく知っているところである。」スピノザは、彼の宗教があかししているように、「真理」でないすべてのものから離れた、質素な単純な生活を営んでいたのがわかる。このようなあかしがなければ、率直に言って他のすべてのことは無価値のはずだ。名誉と金とをまだ追求している人間が神を知り、神を理解し愛していると信じられるか。誰も二人の主人に仕えることはできない。

 

 

(世界の名著 25スピノザライプニッツ 解説 著・下村虎太郎)より

 

ただ一度の激情

 スピノザはデ・ウィット(オランダ史上のペリクレスに擬せられる大政治家。スピノザとは互いに尊敬していた。暴民に虐殺される)の横死に慟哭し、民衆の暴虐に生涯ただ一度といわれる激情に身をまかせた。「汝ら野蛮人の中でももっとも陋劣なる者ども」という書き出しの声明文を凶行の現場にはりつけようとした。宿の主人は扉に錠をかけてかろうじてこれを止めた。自制心をとりもどした彼はある友人に言った。

「もしわれわれが大衆の激情の虜となり、みずから再起する力をもたないとしたら、知恵はわれわれにとって何に役立つのか」

                ・

オリーブ色の顔した日常生活

 ハーグ時代のスピノザの日常を、伝記作者コレルスが伝えている。彼のつきあいと暮らしぶりとは、物静かなきりつめたものであった。自分の激情をおどろくほどによくやわらげることができた。人は、彼があまりに悲しんでいるところも、またあまりに喜んでいるところも、けっして見たことがない。自分の立腹や不機嫌をきわめてよく制御し、忍耐することができた。ただそれをあるしぐさか二、三の短いことばでほのめかし、自分の激情がたかまってくるのを恐れ、そこを立ち去るかするだけであった。

 とにかく日常のつきあいは親切で、愛想がよかった。宿の主婦や他の同居人が病気になるといつも、話しかけてなぐさめ、これは神様から課せられたあなた方の運命だからと説いて、しんぼうするように諭すことを怠らなかった。宿の子どもたちには、両親にたいして恭順であり、公の礼拝には出かけるように訓えた。あるとき、宿の主婦から、自分の宗教で幸福になれるかとたずねられたとき、彼は、彼女の宗教は十分であって、静かな信心深い生活をしさえすれば幸福になるためには何も他の宗教をもとめるにはおよばない、と答えた。

 彼は家にあって、何人をもわずらわせず、たいていのときは自室に静座していた。しかし研究に疲れると、よく階下へおりてきて、同居人たちと些細なできごとでもなんでも話し合った。

                 ・

 一六七七年二月二十一日、日曜日、スピノザは彼の屋根裏部屋で一人の医者に看とられながら、静かに息をひきとった。同居人はだれも、彼の最後がこれほどせまっていたことを知らなかった。その日の朝、彼は屋根裏部屋からおりてきて宿の主人たちと語っている。アムステルダムから医師の友人シュレルが来ていた。彼はアムステルダム在住のドイツ人で、ライプニッツスピノザの会合の手引をしたのも彼であった。昼食も平常と変わらなかった。午後、医師だけが彼のそばに居残り、同居の人たちは教会へ出かけていった。彼らは教会から帰ってくると、スピノザが三時にこの医者に看とられて死んだことを聞いた。

 

 

(『エチカ』 スピノザ 畠中尚志 訳 解説 岩波文庫)より

 

 スピノザの友人で保護者たる大政治家ヤン・ド・ウィットは虐殺されてオレンジ派が支配的位置を占めており、また『神学・政治論』は「涜神の書」として発売禁止の厄にあったばかりのこととて、『エチカ』の出版は容易でないように見えた。それにもかかわらず、自己の発見した真理を人々に伝えようとする熱意は彼をして、『エチカ』出版のため当時の住所だったハーグからアムステルダムへ旅立たせた。しかし彼の目的はやはり実現しがたかった。彼は同年9月オルデンブルクあての手紙にこのときのありさまを次のように書いている。

「私がそのこと[出版]に携わっている間に、私が神に関する一書を印刷に付していて、その中で神の存在しないことを証明しようとしているという噂がいたるところに拡まりました。そしてこの噂は多くの人の心に入り込みました。この機を捕まえて数人の神学者(おそらくこの噂の張本人たちでしょう)が私をオレンジ公と当局に告発しようとしました。その上私に好意を持っていると疑われている数人の愚かなデカルト主義者たちがその疑いを取り去ろうとして、私の意見や著作をたえず罵倒し、今も罵倒することをやめません。私はこのことを信ずべき二、三の人から聞いたのです。そして神学者たちがいたるところで私の隙を狙っていることもその人々は同時に私に言明してくれたのです。それで私は事件の成り行きを見きわめるまでこの用意された出版を延期しようと決心しました……。しかし事態は日に日に悪いほうに向かっているらしく、私はどうすべきかまったく検討がつきません」(書簡68)

 このようにして『エチカ』はついに彼の生前出版することができなかった。しかしその原稿は他の諸原稿とともに死の直前宿主に預けられてあったので、死後ただちに『エチカ』を含む遺稿集は彼の友人にして出版社たるヤン・リューウェルツに渡され、スピノザの死んだ年すなわち一六七七年の十二月に世の光を見ることができた。この遺稿集には彼のかねての意思に従って彼の名前が明示されなかった。真理は万人の所有であって個人の名前で呼ばれる必要がないという彼の自説に基いたものである。

小林秀雄が語る読書・批評の極意

 『兄小林秀雄との対話 人生について』著 高見澤潤子 からの引用です。

ツイート用に文章を短くしてあるところがあります。

 

デカルトは、私の本は四度読んで欲しいと言っているよ。一度目は分からなくて漠然とでも全部読む。二度目は分からない所に線を引きながら。三度目は線の部分をよく考えながら。そしてもう一度」


「一流の作品をもっともっと読んでほしい。難しいからと諦めないで。一流の作は、生命の刻印といってもいいもので、作者は読者の忍耐ある協力を切望している。批評されたり解説してもらうより、辛抱して読んでくれる愛読者の方が、ずっと嬉しいんだ」


妹の高見澤さん「何度も繰り返し読んで、わかろうとしてくれる人ね」
「そうだよ。作者に対して、作品に対して、愛情をもって読んでくれる人なら、必ず忍耐を持って読むだろう。私はいつもそうしている。愛するという心に、極意があるんだ」


「愛するとかいう心には、虚栄心や自己主張は、全然ないものだ。自己を捨ててみれば、自然と批判的態度というものが現れる。批評の極意は、人の身になって考える。独断的態度も懐疑的態度も捨てて、相手の立場に立って見る、ということだ」


「愛情のない批判者ほど、間違うものはない。数学者の岡潔は、人間が人間である中心になるのは、科学性でもなければ、論理性でもなく、理性でもない。情緒だ、とまでいっている。理性第一の学問をしている人が、そういうことを」


「まず読書の方法としてだいじなことは、一流の作品を選んで読むこと。いいものばかり見なれ、読みなれていると、わるいものがすぐ分かるようになるんだ。逆に三流四流のくだらないものばかり読んでいては、いいものがなかなか分からない」


「一流の文学っていうと、長い年月の間にたくさんの人が、いつの間にかそう決めたものだ。それから、一流の作品はみんな、例外なく、難しいものと知ることだ。一流作品というものは、成熟した人間・思想の表現だから、なかなか分かりやしない。たいていの人は、名作を読んでみて、いいかげんな段階のところから、ちょっとのぞいてみて、なにもかも分かった顔をしてるけど、それは自分の分かったところだけを拾い読みしたことだ。作者の成熟した感情や思想は、もっともっと上のほうの段階にあって、そこまで登っていかなければ、とても分かるものじゃないんだ。そこで、何度も何度もしんぼうして読み返す必要があるんだな」


高見澤さん「わたしたちは、名作を簡単に批評したりしがちだけど、ほんとは、なかなか批評なんかできないはずね」
「そりゃできるわけがない。そういうのは名作の前を素通りしてるだけだよ。ほんとうに一流作品に影響されるということは、その素晴らしさに、ぐうの音も出ないほどにやっつけられることだ。文句なしにその作品の前にひれ伏してしまうということだ。そういう体験を、恐れずにつかまなければ、名作から、身になるものを受けられないよ。そういう経験をしてからのち、なにか言いたいことが生まれてくれば、それがはじめて批評となるのだ」


「それから、一流の作家の作品を、全部読むということもたいせつだね。一流作家は必ず、全集がでている。それを読むんだ。その人の手紙や、日記まで読まなくちゃいけない。これも読書法のひとつだ。"その作家を研究するためには全集を読まなくちゃいけないだろうが、そうでなければ、全部の作品を読む必要はない。自分の好きな作品だけ読めばいい”というのは間違いだよ。いまおれがいった読書法は、みんな、おれが実際に昔から実行してきたことだし、いまだって実行しているが、とても役にたっている」


「全集を読んでしまうと、そういう一流といわれるような人は、どんなにいろいろなことを試み、どんなにいろいろなことを考えていたかが分かってくるよ。そしてどんなにたくさんのことを捨ててしまったかが分かってくる。その作者の、物を書こうと努めた人間の生態が、見えてくるんだね」


「作品は目の前にあり、人は奥のほうにいる。一生懸命に熟読していけば、本が本に見えないで、それを書いた人間が見えてくる。いいかえれば、人間から出て、文学となったものを、もう一度人間にかえすことが、読書の技術なんだ」


「何を読んだらいいかって聞かれるたびに、『トルストイ全集』を買って、半年ばかり何も読まずに、それだけを読みなさい、っておれは言ったよ。しかし、それを実行したものはひとりもないね。実際に読んでみなけりゃ、どういう得があるか、けっしてわかるもんじゃないよ。この世は、実際にやってみなけりゃわからないことだけで成り立っている」

 

「読む人はね、言葉をだいじにしてもらいたいんだ。言葉の意味を分かろうとするよりも、言葉の姿とか形を感じてもらいたいんだ。極端に言えば、文学をわかろうとするには、ただ読んだだけでは駄目で、実はながめるのがいちばんだいじなんだ」

 

「語感てやつだ。読む人の心に、じかにうつる姿。海とか空という言葉は、ただの記号じゃない。実物につながって、海の色やにおい、空の色、ひろびろとした感じ、みんな含まれている。人間の歴史や生活にもまれてきた言葉の形を、ようく感じなくちゃ。そういうものをなくしたら、生きた言葉じゃなくなる」

 

 「美とは感じるもので、美について知識をもっていても駄目だね。解説つきで聞いたり見たりするのが文化的だ、と思われている。ところが、桜が咲いた、きれいだから見にいこうと、楽しんでお花見に出かける人たちのほうが、美というものをずっと分かっているかもしれないんだ」

 

「まず無条件に感動することだ。ゴッホの絵とかモーツァルトの音楽とか、(解説のような)理屈なしにね。頭で考えないで、ごく素直に。どう表現していいか分からないものを感じる。そして沈黙する。この沈黙に耐えるには、作品に対する愛情がいる」

 

釈尊の思想 言葉の並べ方と我執

よく釈尊が説いたのは四諦だ空観だと力説してるところを見るけど、彼が対峙して闘ったのは、そういったあらゆる言説を生み出す主体に対する恐怖であって、それがどんな言葉の形をとろうが、彼にとっては大差なかったと思う。要するに「言説を『我がもの』として他者を排除したがる我執」が問題の本質。

形而上学に対する無記の教えは「貴方がその世界観を持っていようがいまいが、他者を大切に思う気持ちを貴方の中に育まなくては、あなたは不幸になる」という現実における嘘偽りない事実であって、四諦や空観の教説も、自己に対する妄執への克服、他者への慈愛を引き起こすための一つの手段。

「業論は本来の仏教ではない」などもよく聞くけど、相手によっては、善行を積めば天に生まれ変わる等と彼自身も説いているし、異なる言説の人間同士が仲良くできるなら、相手がどんな世界観を必要としていようが、そこは大して問題にはならない。本当の彼はダイバダッタも排除しようとしなかった。

この辺は、原始仏典の最古層と言われる『スッタニパータ』第四章に感じられる。彼が疑問と恐怖を感じたのは、多くの人が真実と称して異なる言説をぶつけあっては生死を争っていたこと、世界の構造への驚きというより「何らか客観的世界を構想しては縋り、他者にぶつけあう主体、その妄執」に対する驚愕。

彼の思想はどこまでも身につけるべき行為の問題であって、どんな言葉の並びの問題でもない。中村元が「釈尊は我が無いとは言っていないので、非我論というべきです」「彼の思想には特定の形といったものがない」と主張したこと、あれは批判を受けることも少なくないようだけど、最も上手い表現だと思う。

どんな言説も乗り越えられない問題として、自分の思い通りにならない(自己ではない)対立した他者の言説を抑えることはできない。主体は常に未知数で、自分が否定される恐怖は無限にある。このどうしようもない現実・他者・世界、ここにしっかりと直面して克服することが最も重要な問題だったと考える。




ちなみに「梵我一如的な表現、大我論などは仏教ではない」とかも、よく目にする批判だけど、本質的になりえない戯論的な状況で、いちいち問題にしていることが多いなあと思うときがけっこうある。そういう言葉の並べ方も業論と同様、どう使われて効果を発揮しているかが、本質的なところだと思う。

中村元の文体

角川ソフィア文庫から発売の中村元「ブッダ伝」。手軽に要約されていて良い。原始仏典の翻訳をいきなり読んだら、その言葉がどういう行動の目的で使われていたのか分かりづらい(例えば「生を捨てよ」等)この本は具体的な行動(生涯)を基軸に描いてあるので、釈尊の言葉の真意(思想)が伝わりやすい

番組用に口で説明できる範囲にまとめた原稿が元になっているので、それでこそ釈尊の言行がよく再現できてると思う。哲学専門の人から「中村元は一般向けに希釈しすぎている」という声を聞いたことあるが、思うに事実は逆で、釈尊の教えを再現するに必要な文体は、民衆の言葉であって哲学のそれではない

釈尊自身、自分では難解な書き言葉を残さず、平易な話言葉で教えを説いた。哲学臭くなってしまった時点で、似た意味に落ちつけたとしても、果たす機能に差が出るから、結果として別物にならざるをえず、釈尊の思想からは遠ざかる。パスカルの言う「子供らしさについて、子供らしく語る人は少ない」。

小林秀雄が「意は似せやすく、形は似せがたい」と指摘しているが、釈尊のような人の偉大さは、民衆的な言葉に踏みとどまって、彼らと共にただちに行動したところにあると思う。思想が伝えられる時、その言葉が発せられた状況を起こした行動の形が(文章における文体のように)固有の働きとして機能する

たぶん論語孔子新約聖書のイエスもそうで、時代を動かすほどたくさんの人に浸透した思想が、哲学者の間だけで通用するような難解な文体であったはずがない。

変に思うのが、中村元的な文体を軽蔑する専門の哲学者や仏教者を名乗る人も、原始仏典や新約の平易な文章だけは後生大事に崇め奉って、それから自分流に似ても似つかない哲学語にあれこれ分解して並べ直しては、これが真の仏教だみたいに語って、オリジナルに近い平易な文体を軽蔑してるのを見た時。

 

 

 

法華経についてのプロポ

 
アランのプロポ風


法華経には内容がないと不満を持つ人が多いのはよく分かる。それは人間や世界の構造に関する合理的な記述が何も無いからだ。「縁起とはなんぞや。空とはなんぞや」そういうものが何もない。ただ「永遠に救われることを信じて慈悲行を実行せよ、それを説くこの経典は凄いのだから」基本これだけだ。だが知的に優れた人間であるほど、単なる感情以上の、何かもっと確固たる根拠を求める傾向がある。特に出来れば椅子に座っていたい学者はそうだ。
 
だから証明、イエスが言うところの印が得られてからでなければ愛さないという人間はこの経典を前にして全部弾かれてしまう。だが過去の歴史において説かれてきたあらゆる教理が無常の中でほとんど全て否定されているか、あるいは意見の対立の中で責め苛まれていることを考えれば、証明などというものが尽く不安定な一時しのぎにしかなっていないのが冷厳な現実として理解できる。

このことを知って、そんな世界に生きている人間を肯定する気がなくなったというなら、空だろうが縁起だろうが、そもそもどんな教説を聞いても救われるはずはない。だがもし、このことを知っても尚、そんな風に存在している人間を愛することが出来るなら、この無常な世界そのもの、そしてそこから生まれくるどんな教説もその時その場所に応じて肯定されるだろう。法華経は、そういう根源的な経典だ。『万善同帰教』だとか『諸経の王』、『活の法門』と呼ばれてきた所以。人は理由もなく愛せるし、愛さなくてはならない。
 
ところがこのことが一番難しい。難信難解。知識で得られる根拠が無力だからだ。智慧第一のサーリプッタが及ばなかったのも頷ける。『カラマーゾフの兄弟』のイワンも同様だ。彼は愛するための根拠を求めた挙句、証拠があっても愛したくはないと自身の本心を暴露した。おそらくこの難所を突破できるのは、何の支えも無く、それでも一歩踏み込めば自ら道を見つけられるだろうと自分を信じること、自己を支え保つ、その勇気のみだ。

中心人物の行為を支点にしなければ、信仰は徐々に恣意的に解釈されていく

一応メモっておく。ツイートより。

自分にとっては一番大切な発見。

 

 わずか四日でこれだけの数が集まったのは本当に凄いし誇りに思う。滅茶苦茶嬉しい。でも先生の数が少なすぎないかね。在校の生徒が実名晒してるのに、現在名前が出ている教員さんは、たったの二名。特に人文系、哲学や法学の先生は何してるのかと。

https://twitter.com/sokauniv_nowar/status/631819526468845568


真理とそれに殉ずる人間精神を探求する哲学、歴史の反省の積み重ねから成り立ってる法学を学んでおきながら、憲法を踏みにじる今回の権力の凶暴さにも気づけていないのだとしたら、そんな先生方のやってる学問なんて紛い物としか思えんぞ。ソクラテス日蓮から肝の部分を抜いて一体何を教えてるの?

 

昔、創大の哲学の先生に、信仰において具体的な行動指針はある程度明確にできるはずだし、そこを決定しておかないと(例えば日蓮は非暴力か否か等)、抽象的な哲学語だけだと現実の行動にあたって事後でどうとでも当てはめて解釈できるんで、いずれ分派が生まれると主張して、理解されなかった。

 

だから今の現実見てると、ほら見たことかといいたくなるんですわ。あの時「具体的な行動によろうが抽象的な語によろうが、結局解釈は無数にできるから、これが正しい解釈とは決定できない。だから君の問いは無意味」と返されたんだ。それも、学生が何か生意気いってらみたいな鼻で笑うような態度で。

 

だったら今こそ、ガンジーやキングが武力で対抗する行為を是とするだろうという解釈を、彼らの行為から引き出してみてほしいんだよな。それに説得力を持たせられるなら、今も声を上げない自分達でいながら、ガンジーやキングが、自分達の信じる意味で正しいと語る資格がある。

 

でも出来ないなら(出来ないんだけど)、自分が実践しているのとは別のものを正しいと分かっているにも関わらずそれをしない、あるいはそもそも何がどう正しいかも理解していなかったっていう、偽善者か無理解者にしかならないんだよ。そんな先生が一体、生徒に何を教えるんだ。

 

純論理的な机上の空論だけで言うなら、どんな言葉や行為でも確かにどんな解釈でも無数にできるが、現実的にはそうはなりえない。人を殴っておいて実はそういう意味ではなかったとは一応言えることは言えるが、現実においてはそんなこと『通用しない』。殴っていない人を殴っているという風に解釈するなんて『意味が通らない』。

 

抽象的な語の解釈の幅は広いが、具体的な行為の解釈の幅はかなり制限されるってことをあのとき自分は言ったが、先生はそれを理解しなかった。机上の空論で「解釈は無数にできるから無意味だ」と返してきた。そうして結果的に、自分達が正しい行為に従わないことをそれでもって今も正当化している。

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ブッダとニーチェの対論(バートランド・ラッセルによる)

ラッセル「西洋哲学史ニーチェの章からの引用 市井三郎訳


 政治的問題に対置されるところの倫理的問題とは、同情に関する問題である。他人が苦しんでいることによって不幸にさせられる、という意味での同情心は、ある程度まで人間は生まれつきもっている。幼ない子供は、他の子供が泣いているのを聞くと、心苦しくなるものである。しかしこのような感情の発露は、ひとびとが異なるにつれて非常に異なっている。あるひとびとは拷問を加えることに喜びを見出しているし、またある人々は仏陀のように、どのような生き物が苦しんでいても、それが苦しんでいる限り自分は完全な幸福とはなり得ない、と感じている。大部分のひとびとは感情的に人類を敵と味方にわけ、前者には同情を感じるが後者には感じないのである。キリスト教あるいは仏教がもっているような倫理は、その感情的基礎が普遍的な同情にあるのであって、ニーチェの倫理は同情の完全な欠落ということにある。(しばしば彼は、同情に反対する教えを説いているので、この点では彼が、自分自身の格率に従うことに困難を感じないだろうと思われる。)問題は、もし仏陀ニーチェとが対決させられたならば、そのいずれが、公平な傍聴者に訴えるべきであるような議論を、提供しうるかということにある。わたしのいっているのは政治的な議論ではない。われわれはその二人が、ヨブ記の第一章にあるように神の前に出て、神がどのような世界を創造すべきかということに関して、助言をしているところを想像することができる。そのいずれもが、いったい何をいいうるであろうか?
 仏陀ならば、次のような者たちについて語るところから議論を始めるであろう。すなわち癩病人や放逐され惨めなひとびと、四肢を痛めて骨折り仕事をし、乏しい栄養のために生きているのがやっとというような貧者たち、じわじわ迫る瀕死の苦悶の中にいる戦闘での負傷者、残酷な後見人に虐待されている孤児たち、またもっとも成功しているにもかかわらず、失敗と死の想いにとり憑かれているひとびとである。すべてこのような悲しみの重荷からの救いが、どこかに見出されねばならず、救いは愛によってのみ到来しうるのだ、と仏陀はいうであろう。
 ニーチェが相手のコトバをさえぎろうとするのを、全能の神だけが制し得ていたのだが、自分の順番がくると、彼は次のように叫び立てるであろう。「こりゃ驚いた、お前さん。貴方はもっと強じんな資質になられんといけませんな。とるに足りないひとびとが苦しむからといって、なぜそうメソメソして回りなさる? いやさ、偉いお方が苦しんでいても、同じことですがの。とるに足りない者どもは、その苦しみもとるに足りないし、偉い人間はその苦しみも偉大なんで、偉大な苦しみというものは、高貴なものである故に遺憾とすべきものじゃありませんな。貴方の理想というものは苦しみがないというまったく否定的な理想であって、そんな理想なら存在しないことで完ぺきに達成されるわけだ。それに反してわたしは、積極的な理想をもっていて、アルキビアデスやフリードリッヒ二世やナポレオンを賛美しているんです。このようなひとびとのために、いかなる悲惨も価値あるものとなります。主よ、わたしは貴方に訴えます。創造的芸術家の最大の者としての貴方が、貴方の芸術的な衝動を、このみじめな精神病者の恐れにひしがれた退嬰的な繰り言によって妨げられることのないように、と。」
 極楽の宮殿で自分が死んでからの歴史をすっかり学びとり、科学をマスターしてはその知識を喜びとし、人間がその知識を乱用することを悲しむ仏陀は、落ち着いた典雅さで次のように答える。「ニーチェ教授よ、わたしの理想をまったく否定的な理想だとお考えのようだが、それは間違っています。確かにわたしの理想には、苦しみがないという否定的な要素が含まれています。しかしそればかりではなく、御説に見出されるのと同じほどに積極的なものも含まれているのです。わたしはアルキビアデスやナポレオンに特別の賞賛の念をもっていませんが、わたしにもまた英雄があるのです。すなわちわたしの後継者であるイエスがそうですし、彼はひとびとに、自分の敵をも愛するように教えました。また自然の力をどうすれば支配出来るか、そしてより少ない労力でどのように食物を確保しうるか、ということを発見したひとびとや、病気をどのようにすれば減少させうるかを示した医学者、そして神の喜悦をかいま見た詩人や芸術家や音楽家たちがわたしの英雄です。愛とか知識、美の歓喜といったものは、否定的なものではありません。それはかつて存在した最大の偉人たちの生涯を、満たすに足るものだったのです。」
 ニーチェは答える。「それでもやはり、貴方の世界は気の抜けたものとなるでしょうな。貴方はヘラクレイトスの研究をなさるべきです。彼の著書作は、極楽の図書館にすっかりそろって残っていますよ。貴方のおっしゃる愛というものは、苦痛によって引き出された哀れみの情ですな。そして貴方の理想というものは、正直におっしゃるなら不愉快なもので、苦しみを通じて初めて知りうるものじゃないですか。また美に関してはですね、みずからの見事さをそのどう猛性に負っている虎よりも、いったい何が美しいとおっしゃるんです? いやまったく、主なる神が貴方の世界のほうがよいとお決めになるようなら、われわれはすべて退屈でしんでしまうと思いますな。」
 それに対して仏陀は答える。「貴方ならそうかも知れません。貴方は苦痛を愛していらっしゃるのだから。そして貴方が生命を愛するとおっしゃるのはマユツバですからね。しかし本当に生命を愛する者たちは、わたしの世界に住むことによって、現在あるがままの世界では到底不可能なほどの幸福を感じることでしょう。」
 わたしとしては、わたしの想像したかぎりでの仏陀に賛成する。しかしわたしは、数学や科学の問題で用いうるようなどのような議論をもってすれば、仏陀が正しいことを証明できるかを知らないのである。わたしがニーチェを嫌う理由は、彼が苦痛について思索することを好むからであり、さらに彼が賛美する人物が征服者であり、彼らがひとびとを死なせる巧妙さを光栄としているからである。しかしわたしは、ニーチェの哲学に対する究極的な反論が、不愉快ではあるが内的に首尾一貫しているすべての倫理に対する反論と同じように、事実に対する訴えではなくて、感情に対する訴えのなかにあると思う。ニーチェは普遍的な愛を軽べつする。そしてわたしは、その愛が、世界に関してわたしが望むすべてのことに対する機動力であるように感じる。ニーチェを信奉するひとびとは、現在までに得点を稼ぎはしたが、われわれはそれが、急速に終焉することを希望していいであろう。